オールヌードの着こなし方

あなたの裸のココロを着こなせ

人は死んでもいいと思う。

人は必ず死ぬ、これは絶対のものだ。死ぬ事も生きる事も、結局は何も変わらないのかもしれない。
「生きていれば幸せだ。」「生きているだけでありがたい」って言葉があって、死ぬことは悪いことだと語られるけど、生き方って人それぞれだと思う。
生きている事で幸せを感じれる人は幸せだからいいと思うけど、ただ生きていることに幸せを感じない人にとっては地獄でしかないだろう。自分を殺して、自分のやりたい事なんて何も出来ずに、ただ生きる為に日々を過ごす。そんな日々に価値を見出すことは出来ない。


2/7にイベントをして楽しかった。人は一人しか来なかったけど、信頼している仲間と8時間話をして、来てくれた人も素敵な人で楽しい時間だった。
けど、その後自分一人に戻ったら、「何もしたくない」って感情が出てきた。
この「何もしたくない」って言うのは、厄介極まりない。実際は何もしたくない訳じゃない事があるからだ。
僕の場合は「何もしたくない」のではなくて、生きるって事だけの為に自分を殺してまで生きていたくないって本音だった。そしたら「死」が出てきた。


なんで、何もしたくないのか?
なんで、動きたくないのか?
なんで、生きている事すら嫌なのか?


そんな事を考えていたら、出てきたのが自分を殺してまで生きていたくないって本音だった。
日本はさ、色々設備が整っていて、生活保護もあるし、自己破産もあるから死なない方法はあるんだろう。
けれど、その根本にあるのは、自分を殺してでも労働をして、生きる事の為に自分を殺す事なんではないかと思う。
誰かに頼る事は悪で、結局は自分一人で何とかしなさい。全ては自分で解決しなさいって世界なんではないかと思う。
人が本当に欲しいものは「自分に正直に生きる」って事ではないか?というのを以前書いたが、
正直言うと、今の社会では「自分に正直に生きる」ってのは勝ち取らないといけないのではないかと思う。


「助けて」は甘えになるし、「好きな事以外はしたくない」「自分の思う様に生きたい」は我儘になる。
何かは勝ち取らないといけないものって定義されていて、やはりその前には努力や我慢や苦労があるんじゃないかと思う。
「自分に正直に生きる」も勝ち取っていかないといけないものなんじゃないかなと思う。ただ僕の中には、毎瞬の自分を殺してまで手に入れたいものなんて何一つない。
毎瞬の自分が、「自分は何をやっているんだ。」「こんな風に生きている事に意味なんてないじゃないか」って考えて、そうやって生きていることは、死んでいる事と=だと思った。
だから、今の何も自分のしたい事が出来ない日々には死ぬって事よりも、もっと辛い中を生きていかなければならないという地獄が待っていると思っていて、だからこそ、何もしたくなくなるのだ。


楽しいことしかしたくないし、自分が面白いと思うことしかしたくない。自分がイイって思うものは世界に広めたいし、イイって思うもののみにお金を払いたい。
生きるって目的の為のみに生きる事に何も価値を見出すことが出来ない。
ここで問題なのが、自分がイイって思うものはお金がかかるということだ。そうじゃない価値観の人もいると思うけど、僕はイイって単純に思うものは、お金がかかるものが多い。
だから、今身の回りにあるもので、自分に相応しいって思うものを少ないし、今手に入れる事が叶わないものばかりで、嫌気が差す。


誰かの下で働くこともしたくないし、自分が心動かされるものを自分の理想どおりに再現したいって想いしかなくて、それを全てやりたいってなったら会社を作るしかないなって思った。
個人事業でもいいのかもしれないけど、僕一人の想いよりは色んな人の想いを具現化する。色んな人の最高が合わさって、最高のものが出来るのが楽しいと思うし、
自分一人の力では出来ない事も、沢山の人がいれば出来る事に変わるし、自分一人で生み出す事がない化学反応が起こって、最初のものよりもいいものが出来る。
そんな環境で働きたいなと思っているし、そうやって色んな人と楽しい事、素敵なこと、おもしろい事をしていきたい。だけど、その為に自分を殺してまでは生きていきたくないって思っている。超わがままだけど、それが自分だ。
自分が好きなことだけして、好きな様に生きる。
そうじゃなくて生きている事に意味を見いだせない自分にとっては、そうじゃなくて生きている事は全く意味がないと思っているから、
自分を殺してまで生きるんであれば、死を選んだ方が、自分らしく生きることや、自分の為にいいことではないかと思っている。


僕の事を、情熱や太陽と表現したり、勝手にすごい事になると言ってくれる人がいるけど、
ただ単純にやりたい事や、好きな事・ものが、成功者とか言われている人達と同じというだけで、決してそんなものではない。
心の中にはどっぷり闇を抱えているし、そのふり幅が大きすぎて自分でも対処出来ない。
楽しいことや面白い事、人を喜ばせる事がしたいと思っている一方で、どこまでも人を呪っているし、羨んでいるし、この世界に絶望すらもしている。
陰も陽も両方あるし、どちらも大きくて大きくて、どちらに動くことも出来ないだけだ。


太宰治人間失格が読みたくなって読んでみた。その中にあった文で思ったのは、
僕は死ぬほどに生に対して絶望も苦しみも味わってないんだろうな、だから死ねないんだろうなと思った。
読んでる人からしたら、完全にいっちゃっているよこいつって文章だとも思うけど、元々全て自分の中に確かにあって、抱えていた想いだ。

 

正直ここから抜け出す事は、自分の力では不可能なんではないかとすら思っている。なぜって、どれに向かうにも、もう自分の中にあるパワーは残っていないからだ。
自分を殺して生きる事も、死ぬことも、叶えたいものの為に動く事も、どれも何も動くパワーが残っていない。ただ呼吸して、嫌な事から逃げて、ただ日々が過ぎていく。
この一年間色んなことを学んで、色々試したけど、人生がうまくいく兆しなんて、何も見えてこない。
ちょっとしたきっかけで、人生がうまくいく人もいるのかもしれないけど、そんな兆しは何も見えてこない。
何回自分をえぐっても、晒しても、表現しても、結局ここから変化する事なんて一切なかった。そんな状況で、どこにパワーが残っているというのだろうか?

 

今ならば、落ちていく人の気持ちがよくわかる。それは他人がどうこう言える問題ではないんだなと。
「あの人達に比べたら幸せじゃないか?」なんて言葉は意味を持たない。「頑張れば、生きていればいいことがある」なんて言葉も意味を持たない。
「生きたくても生きれなかった人もいる」なんて言葉も意味はない。それは、その人の人生で、確かに生きたくても生きれない人もいるだろう。
でも、それはその人の人生だから生きたいと思ったのであって、そんじゃない人にとっては、何の意味もない事だ。
誰かと比べて幸せだから、生きていないといけないなんておかしな話で、どんな苦しみも、その人が心から思っているのであれば、
それは決して比べるものでもないし、他人が勝手に比べていいものでもない。


僕は死から逃げる為ではなくて、ただ生きる為でもなくて、生きていることで生まれる地獄から逃げ出したいんだと思う。
今、思っている事は、こんな事だな。人生って全然楽しくないし、疲れるわ。