オールヌードの着こなし方

あなたの裸のココロを着こなせ

人からどう見られているとか、人の気持ちを考えるとか、言葉の裏を読むとか不可能

昨日、大竹功一謎解き会が行われて、だいぶバッサリと切られたw
会の感想をまとめて書こうと思ったんだけど、出てきた感覚や感情の一つ一つが過去の事とか、自分の内面の事とかに密接に関わっていたので、会の感想としてまとめて書くより、一つ一つのキーワードで一記事ずつ書いていきたいと思います。


人からどう見られているとか、人の気持ちを考えるとか、言葉の裏を読むとか不可能

根本的に人からどう見られているとか、人の気持ちを考えるとか、言葉の裏を読むとか不可能です。
そして、それをよく責められてきた。

「なんで人の気持ちがわからない!?」
「結局、自己中」
「人から、どう見られているか、わからないの?」
「言っている事は、そういう事じゃない!!」
「全然伝わらない」
「なんで、出来るのにこんな事わからないの!?」(まあ、この出来るのにが実に厄介)
そして、罪悪感いっぱい抱える訳です。


「自分は冷たい人間なんだ。」
「人の気持ちをどんなに考えても理解出来ないダメな奴なんだ。」
「出来るって、どこ見て言ってんだ?」
「人のこと考えて行動したのに、文句言われるなら、もう考えないわ!」
「伝えようって頑張ったって、全然違う風に取られるなら言わない方がいいわ」
って思うわけですよ。
そんな事の繰り返しよ、人生w
まあ、当たっていると思うので、しょうがないっすねw


一般的に言ったらアスペルガー、心屋さんの言葉を借りると完全なる後者なんでしょう。
(わからない人は、興味があったら自分で調べてね)←もうこの感じが完全なる特徴だよねw
前者・後者論は、無駄に自分を苦しめている人を救うツールだよ。
前者の脳の使い方・視点の持ち方があるなんて、初めて知ったよ。
だから自分が異常者扱いされる事も納得いったし、もう降参しましたよ。


でも、だからこそ色んな人の色んな気持ちを受け入れる事が出来る様になったと思うのです。
だって理解されない悲しみとか、疎外感とか孤独感ってすごい感じてきたから。
受け入れる事は可能なんです。直接的に自分が対象じゃない事に関しては、ほぼどんな事もタブーはないです。浮気だって、不倫だって、ニートだって、一生結婚しなくたって、変態だって、水商売だって、セレブだって、本人が良くて、他人の自由を奪わなければいいと思う。
でも、そこに自分が入ると完全に『自分』って存在の判断、好き・嫌いが出てくるから、そこは誰にも渡せないんです。だって、自分は何者にも縛らせる事は出来ないよ。だからこそ他人を縛ることもしないんだから。
自分の気持ちに関しては深いところまで理解しているんだから、そこにウソを吐くことは、この上ない苦痛なんです。


ほんで、ある程度説明してきたけど、一つ一つ解説すると、
まずは

「人からどう見られているとか、人の気持ちを考える」
これは感情的にイライラしているなとか悲しいんだなとか嬉しいんだなとか、そういうの感覚的にはわかるのだけど、人からどう見られているか?を想像する事は出来ないです。
その「人」って言うのは、自分が自分を客観的に見た時に自分がどう感じるか?しか理解出来ないんです。
だって、人なんて千差万別で一概に「こうだ!」なんて言えないでしょ?それにどんなに人の気持ちになって考えたって、必ず自分っていうフィルターがあるんだもの。


HIP-HOPが好きな人もいればミスチルが好きな人もいる。
AKBが好きな人もいれば、松山千春が好きな人もいる。
そして、それ全部好きな人もいる。
この状態で相手の立場になって考えるなんて不可能じゃねえか!?って思ってきた。
人によって好きが違う様に、嫌いも違う、そして大切にしてるものも違う。
それでどうやって人の気持ちを考える事が出来るの?
自分は自分の気持ちしかわからないよって思ってきた。マジで想像も出来ないんです。
受け入れる事、批判しない事、理解しようとする事は出来ますが、考える事は出来ませんので求めないで下さい。俺は自分の中から出てきた事しか表現出来ませんので、人の気持ちはわかりませんので、あなたの責任で表現して下さい。
それを受け止める事は出来ます。
むしろ、それ位しか出来る事はありません。
だから、こっちの身になって考えるとかも求めないで下さい。
しっかり、あなたの言葉で表現して下さい。
そして、それがもし交わらなかったとしても、しっかり向き合って話しましょう?
そうじゃないと理解出来ないんです。そして自分はそうはしないかもしれないけど、理解しあう事はしたいんです。

 

言葉の裏を読むとか不可能である!

まず聞きたいのは「言葉に裏ってあるんですか?」って事。
「発してる言葉に裏ってあるの!?」
まず、その事が衝撃すぎて、そして全く理解出来ないんです。
みんな言葉の裏を読むとか、そんな高度な事してるの?
それって当たってるの?
勘違いって事ってないの?
そんな高度なことして生きてるの?
っていう、衝撃でしかないっす。

でも、そうやって生きてる人もいるんだろうね。
そしたら納得いくんだよね。
色々人の事ほじくって、足引っ張って、批判して、色々考えを張り巡らして、人を疑っているのも。
そんな風に生きてきた事なかった自分にとっては完全に衝撃って言葉しか出てこない。


でも、それってすっごい疲れないっすか?
じゃあ、どうやって人を信じるんすか?
まずは疑いから入ってるんですか?
それ辞めて、みんながみんな自分表現して、素直に生きて、違いも受け入れて、
その人の良さを活かしていったら素晴らしい世界だなって思いません?
ただ単純にそれだけでいいと思うんだよな~。


なので、僕に言葉の裏を読ませようとはしないで下さい。
だって絶対読めないです。
言葉はそのまま受け取ります。
その代わり、その言葉が心から出てるのであれば、しっかり理解しようと努めます。
遠まわしはいらないです。だって伝わらなくて、あなたの事をイライラさせてしまいますから。
直接思っている言葉で話をしたいです。


これを一発目に書こうと思ったのは、同じ様に苦しんでいる人が現実的にいるんだろうなって思ったからで、
頭の中で思ってても現実がそうじゃないんであれば変える必要があると思ったから。
そりゃあ、そう思ってる人は現実と自分のギャップが生じて苦しむなって思ったから。
だって、自分素晴らしいって思いながら、自分って最低って思ってるもんね。
それで嫌な事もあったはずなんだよね?
俺も実際あったしね。(この事に関しては参加して下さった秋田由理さんがバッサリ自分の謎を解いてくれたので、違う記事で書きます)


だからさ、もう責めなくていいと思うんだ。
だって無理じゃない?
少なくても俺は無理なんだ。
心理学や脳科学的には、そう思ってる現実を脳や人は引き寄せるというのであれば、もう降参しよう。
無理なものは無理なんだよ。
それで自分責めて苦しくなってるだったら、もう辞めよう。
辞めたら、更に嫌われるし、評価も下げるし、嫌な奴って思われて苦しくなるっていうのであれば、俺を見てて下さい。
俺は辞めます。だって無理だから。
障害っていう分類に入るのかもしれない。理解出来た方がいいのかもしれないけど、
どんなに自分に聞いても、それをする事は出来ないんだ。
だから、それで俺の現実が変わったら、この理論は実証されます。
自分を責める事を辞めたら、現実的にも上手くいくって理論は実証されるので、みんな使って下さい。
俺が目指している世界は、誰かと誰かが疑いあって、勘繰りあって、って世界じゃないのよ。
それに付いても、今後の記事で書こうと思います。

まずはレポート第一弾!