オールヌードの着こなし方

あなたの裸のココロを着こなせ

その想いを不安や焦りに変えてしまっているのは、自分なんだ。

望んでいるものや、叶えたいものに手を伸ばす時、生きたい世界で生きると決める時、自分が、今の自分をどうやって見ているのか?ここが問題なんではないかと思う。
「そのままの自分は成功や望むもの、叶えたいものに値しない自分なのか?」まずこれを自分自身に問う事が大切だと思う。
ちなみに僕は「そのままの自分は成功や望むもの、叶えたいものに値しない自分」というレッテルを張って生きてきた。


ある曲が頭に浮かんできて、ふと好きな人の事が浮かんできて、好きな人にした今までの行動を振り返ってみた。不安や焦り、何か一つ手に入れれば自信が持てる、そんな気持ちもあっただろう。でも、今とは違う、あの時の自分が心底愛しく思えた。


迷い、葛藤、焦り、不安、絶望、希望、夢、色んなものを抱えながら、それでも一歩一歩踏み出している、あの時の自分。
未熟なところもあるし、「もう少し上手くやる方法あるだろ?」とか思う気持ちもあるけど、その時の自分を、今の自分は抱きしめてあげたいなと思った。色んな事を感じて、正解を探したり、最善を求めながら、その時を力いっぱい生きている姿に、自分・他人関係なく、感動するみたいだ。


愛を放てば、愛で帰ってくる、結果が教えてくれるというのであれば、僕はあの時愛よりも不安や焦りから動いたんだろう。やってみないとわからない事だったから、しょうがないと思う。望んだ結果が出なかった現実を生きているけど、あの時の自分を、心底愛おしいと思えるから、僕は僕に正直に生きたんだと思う。


そんな事を感じながら、今起こそうとしている行動は、焦りや不安から逃れたい為している行動なのか、わからなかったから、それはなんなのか感じてみた。
なにかアクションを起こす時に、不安や焦りと怖さ、ワクワク色んなものを含んでいる時が多い。それは、やっぱり結果を求めているし、うまくやろうって気持ちが起こるからなんだと思う。


では、なんでこの感情が出てくるのか?
最初の「そのままの自分は成功や望むもの、叶えたいものに値しない自分なのか?」ということだろう。
自分が自分に見ている感覚が、「今のままでは自分は成功や望むもの、叶えたいものに値しない自分」として見ているんだと思う。


それをしたら
大切な人達から嫌われないだろうか?
もっと劣悪な環境にならないだろうか?
誰もいなくなってしまうんではないか?
これが自分が自分に見ているイメージだった。


自分を信じていないから、他人も信じれない。他人は信じていても、自分は信じれない。そんなところをグルグル回っているんだろう。


じゃあ、どんな世界で生きていきたいのか?これを感じた時に思ったのは、
このままの自分で生きていける世界
このままの自分を愛する世界
このままの自分を好きになってくれる人・愛してくれる人と生きていく世界だった。


であれば、答えは簡単なんだ。このままの自分で生きる!ただ、それだけだ。
簡単なんだけど難しいもので、今までそうやって生きてきていないから、いつも何かをする時に前の思考回路が動き出す。不安や焦り、絶望に飲み込まれそうになる。
でも、何回でも何回でも決めなおしていくしかないし、自分が何を感じているか感じていくしかないし、自分が本当はどうしていきたいのか一つ一つ丁寧にしていくしかないんだと思う。


自分に出来る事は、自分の想いを表現していくことしか出来ない。
正解なんて求める事は無理で、むしろこの世界に想いを解き放った時に、自分の中での正解を叶えたと言えるんじゃないだろうか?
その後の展開は、その時に感じて、考えるしかない。
そういう事を一つずつしていって、いつか

「世界は優しい」

「そのままの自分で成功や望むもの、叶えたいものに値する自分なんだよ、手を伸ばすだけだよ」

って心の底から言える自分でありたいと思う。

f:id:kenya1219:20160205084027j:plain