オールヌードの着こなし方

あなたの裸のココロを着こなせ

ありすぎるからこそ、自分を持て

今、北海道に来ている。
おじいちゃん・おばあちゃんに会う為なのだけど、連日連夜、6時間以上おじいちゃん・おばあちゃん・おばさんと話をしている。
過去の思い出話や、昔の時代の話をしたりしているのだけど、感覚的に違うものがあるというのは感じる。
これは当たり前の事だろう、生きている時代・年月、住んでいる場所、生き方が違うから。いっぱい話をして感じた事が沢山あるので、少しずつ書いていきたい。


今は「ある」時代だ。物質的な不足感を感じる事が少ない時代。
昔は「ない」時代だから、ある物で我慢するという事が普通だったのだと思うが、今は「ある」時代。
元々無ければ人は諦めがつくのだろうけど、確かに日本にあるのだ。手を伸ばせば届く距離に、目を向ければ見えるところに。
だからこそ人は欠乏感を感じる。
「ある」から贅沢でいいという事ではない。「ある」からこその問題も発生してきているのだから。
何もしなければ死ぬ時代であれば、単純に人は生きるという事だけで精一杯になれた。常に自分を持って生きれたのだろう。
けれど、自分がなくても生きていける時代になったからこそ、その人の生き方が問われる時代がきた。
どちらがいいという問題ではない、僕らはこの「ある」時代を生きているのだから、「ある」時代の問題に対処しなくてはならない。


ありすぎる時代だからこそ、自分で判断しなくても生きていける。逆に言えば、自分を殺して生きていけば、それなりには生きていける。でも人は、自分を殺して生きていくことは出来ないのだと思う。自分を無くした瞬間から人は自ずと疲弊していってしまうのだから。
ある時代で、いろんなものが選択可能になったからこそ、後悔を多く抱えて生きる事が増えたのだと思う。
そして、ありすぎる時代だからこそ、自ずと欠乏感が沸き上がってきてしまう。
「ある」時代だからこそ自分で選ばなければならない。自分の意志で選択していかなければならない。
それをどこかに置き去りにした状態で何かを選択しても、欠乏感は無くなりはしないし、後悔も無くなりはしないし、自分の人生を生きる事も出来ない時代なのだから。


世の中には、沢山のものが溢れている。人も、物も、情報も、価値感も、正解も、生き方も。
だからこそ、常に自分に問いかけろ!
「自分はどうしたいのか?」「自分は、何を選択したいのか?」
今の時代に生きれているという恩恵を授かっている僕らは、それを問われているのだと思う。
そして、実は昔の人は、その「自分」という部分だけは、しっかり手に持って生きてきたという事を覚えておかなければならない。
何をするにも全て自分だ。選択が間違うこともある、失敗する事もある。
だけれども、その選択をした自分を誇れる様に思える様に生きていかなければならない。

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